契約書業務マニュアル

平成15年から契約書だけをつくり続けてきた契約書専門の行政書士

契約書の解釈とトラブル

自社にとって重要な条項が、
相手に都合よく解釈されては、
こまってしまう。


おなじ言葉でも読む人によって、
その意味がちがって受け取られることがある、
ということだ。

契約書ではこれをなるべく避けるために、
できるだけ詳しく、
具体的に表現するように注意する。

でも、
言葉の具体性と言うのは限界があるので、
なかなか難しい問題だ。

だれでも不都合な状況になると、
なんとかして自分に有利な解釈をひねり出そうとするものなんである。


言葉はいろいろな意味に解釈できる。

たとえば

「晴れたら映画に行きます」

という規定があったとしよう。

ではもし、
雨が降ったら、
この場合、映画には行くのだろうか?
行かないのだろうか?

また、
「行きます」とあるのは、
晴れたら必ず行く義務があるということなのか、
それとも行くことも行かないこともできるという意味なのか。

おそらくどちらにも解釈できる。

映画に行くかどうかという程度の問題であれば、
その都度はなしあえばよいわけで、
このような解釈の違いはたいして
問題にならない。

けれど、
契約上の義務となると問題だ。

ビジネスである以上、
通常は、
自社が義務を負う表現は、
極力少なくしたいというのが契約者の心理だからだ。

はんたいに、
相手方が負うべき義務については、
明確に規定しておきたいと思うのも事実である。

どんなに詳しく規定しても、
解釈の余地がなくなることはない。

映画の例でいえば、
映画ならなんでもいいのか、
着いたら上映時間が半分おわっていたとしても観たことになるか、
などである。

ところでこういう解釈の判断が難しい場合は、
基本的にはどのように条文を解釈すべきなのだろうか?


条文解釈の姿勢には、
ごくおおざっぱにいえば、
文理解釈と論理解釈という考え方がある。

文理解釈は
言葉をその文字通りの意味にとらえるといった意味で、
その文字の言語的意味に忠実な解釈だ。

簡単にいえば、
文字通りの意味にとらえるのだ。

杓子定規な、
ある種融通のきかない解釈姿勢である。

とはいえ
基本的には法律や契約書は、
文理解釈されるべきといえる。

契約書として規定した以上は、
自由に解釈をされてしまうと、
勝手な意味の想像をつけたされて、
本来の契約の意図を都合よく曲げるおそれがあるからだ。

たとえば

「解約は書面で通知しなければならない」

という規定があったとする。

これは後日、
解約と言ったとか言わないとかいう
すれちがいや、
間違いを避けるために、
あえて「電話」で告げるとかではだめで、
書面にして相手に通知しないとならないよ、
という意味に解釈できる。

ただ
このとき、
この「書面」には、
ファックスが含まれるかどうか、
メールはどうか、
あるいは携帯メールで送信しても解約できるのかは、
判然としないこともあろうから、
あらためて解釈する必要がある。

もちろん、
あらかじめこのような議論にならないよう、
契約書で電子的方法による通知が認められるとか
認められないとか、
そういうった記載があることが望ましい。

きわめて分離解釈的な態度で
この規定を読むとすれば、
手紙やはがきによる通知以外
認められないとすることもできる。

ただ、
実際には常に文理解釈だけですませることは、
不可能に近い。

文字通りの意味にとろうとすることで、
かえって契約の趣旨に反してしまうこともあるからだ。

この場合の趣旨は、
解約の通知が混乱したり、双方で認識がすれちがわないため、
であるから、
そのような目的が達せられる程度に、
明確な通知であれば、
厳密に手紙やはがきといった書面でなくても、
ファクスでもよさそうであるし、
メールも可能であろう。

あるいは、
事業者と消費者との契約においては、
消費者側に解約の権利が定めらていることも多い。

そのような前提で、
仮に、書面しか解約の通知はみとめられないから、
消費者が解約の意思を表示したことがあきらかな場合でも、
ハガキをだすまで解約させない、
といった意味に解釈したとすれば、
これは誤りと考えるべきだろう。